日本一周69日目〜映画コラム🎥①『時計じかけのオレンジ』〜
日々のブログネタが貧弱過ぎるので趣味ネタで繋げることにしました…。好きな映画について語る不定期コラムです。
ネタが他に無い時ちょいちょい書きます。
第1回はスタンリー・キューブリック作の『時計じかけのオレンジ』(1971)です。
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『時計じかけのオレンジ』は芸術性の高さで評価され、世界中の映画ファンを抜け出せない「オレンジ沼」に陥れてきた凶悪映画だ。
評価サイトを見ると、この映画へのコメントは暴力や性的な表現についてアレコレ書かれているものが多い。まぁ実際そういったシーンが8割の映画なのだが、『時計じかけのオレンジ』の醍醐味はそれらを超えた先にあるのだと思う。
この映画には少し残念な歴史があって、実は映画が放映された少し後からキューブリック監督が亡くなるまで、長年にわたって英国では上映禁止作品になっていた。
何故なら、この映画に影響を受けたとする青年が殺人事件を起こしてしまったからだ。
その事は当時大きく報道され、脅迫を受けたキューブリックは家族を守るために当時住んでいた英国での上映禁止を要請したという。
どんな映画だろうが、映画に影響されて人を殺すような人間が可笑しいのは当たり前なのだが、そもそも『時計じかけのオレンジ』は暴力を肯定している訳では無い。
そして、また否定している訳でもないのだ。
「暴力」をテーマにした作品を他に思い浮かべて欲しい。大抵、暴力者はバチが当たったり「善」が「悪」に勝ったり、またはその逆だったり…。そういったオチがつくと思う。
しかし、『時計じかけのオレンジ』はそうでは無い。非道の限りを尽くしていたアレックスは1度懲らしめられ人格を矯正される。しかし、そのせいで色々と可哀想な目に遭ってしまったアレックスは物語の最後にはまた悪童へと返り咲く。
暴力⟷非暴力
本能⟷矯正
のような背反する2項は、それぞれ欠点があるものとして客観的に描かれている。どちらが正しいだとかそういった価値観は廃されているのだ。
また、観客が主観的に映画を見てしまうとどうしても善悪の判断を付けたくなってしまう。それを防ぐために、この映画には様々な工夫が凝らされている。
冒頭の別グループとの乱闘シーンは、オペラ曲「泥棒かささぎ」を背景にまるで劇のワンシーンかのようにオーバーな立ち回りで、且つ(恐らく)若干スロー撮影されている。
観客は暴力シーンでもお芝居を見ている時のように、感情移入せず客観視出来るという訳だ。
また物語は終始、主人公アレックスの「語り」で進行されるのも観客を深入りさせない工夫だろう。
今述べたのはほんの一部で、キューブリックはどのシーンにおいても心血を注ぎ『時計じかけのオレンジ』を完成させた。
だからこの映画を見る時は、何が善で悪かとか余計な価値観は捨ててただただ美しい映像に集中して欲しい。
とってもホラーショーなシニーなので心してスルージーしろ!
ライティライト?
(執筆者︰おもち)